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市議団の活動

いわき市でのボランティア活動に参加して

2011年08月10日

市会議員 金沢はるみ

8月3日から6日まで神戸市議団の事務局2名と議員3名、合計5人で福島県いわき市でボランティア活動に参加しました。
被災された皆さんの現状や要望などを聞き、地元議員さんらに伝え、要望の解決策を検討する活動です。
放射線量を量る線量計も持ちながらの活動。マスコミでは毎日放射線量は報道されていますが、自宅がどの程度かはわかりません。訪問先で、計測すると喜ばれました。いわき市の放射線量はそれほど高くなく、私たちが行った時は0.14~0.17マイクロシーベルトぐらいでした。
4日は、勿来(なこそ)地域に入りました。この地域は、青々と稲が育つ、平和な農村部の風景が広がっています。しかし、屋根瓦などの損害を受けている家が多く、お話を伺うと「家の損害も大変だけど、つくっている米が出荷できるか心配」と口々に言われていました。
米の出荷にあたっては、稲の段階と収穫後の二度にわたる放射線量の検査が予定されています。もし値が高ければ、米の出荷はできなくなります。農家にとっては大打撃です。
同時に、出荷できても「風評被害」によって「福島県」産の米は売れないことが予想されます。現に、障害者団体が無農薬で栽培している野菜は、「福島産だから」ということで、納品を断られる事態になっています。こうした風評被害についてもきちんと東電に補償させなければならないと思いました。
5日は、泉地域という静かな住宅街での聞き取り調査と、放射線量が高い地域の人たちの避難所となっている常磐ハワイアンセンターで生活している人たちから、話を聞きました。
泉地域は、外見では屋根の被害が目立ちますが、事情を聞くと深刻な被害があることがわかりました。
地盤が緩いため、家の土台が傾いたり、基礎部分にひび割れがでるなどの被害が出ていました。いわき市の一次調査は、外見だけ。納得できないとして「不服申し立て」がされた世帯だけ、内部も調査するとしています。これでは、多くの被災者が泣き寝入りを余儀なくされる可能性があります。
どの地域でも「神戸からボランティアにきました」というと「遠くからわざわざありがとう」と言って実情を話してくれます。中には「ぜひ、あがってください」と、招き入れてくれる方もあります。お邪魔すると、震災当日の話、避難したときの大変だったこと、友人や家族の話など、堰を切ったように話してくださいました。
多くの地域で「り災申請をしても、なかなか家を見に来てくれない」「半壊の認定になっているが、見直しが必要ではないか」など、不安や行政にたいする不満の声が多く出されました。
2カ月も調査員がこないというお宅の事情を聞き、私がその場で市役所に問い合わせ。「いつごろ調査に入れるか、折り返し電話する」との職員からの返事を伝えると、大変喜ばれました。
また、共産党の作った支援制度の一覧表も大変喜ばれました。他方、市役所がつくっている支援制度のパンフレットが、市民に届けられておらず、知られていないこともわかりました。いわき市の議員さんも改善を求めているとのことでした。
5日の夕方には、内郷地域で、現地の党員の方々と懇談しました。ここは他町の被災者用の仮設住宅として利用されている雇用促進住宅がある地域。また、8月末には、ハワイアンセンターに避難している人たちが入居する予定の仮設住宅が大量に建設されています。
「これからどういう継続的な支援が必要か、神戸での経験を聞きたい」ということで、地元の党員の皆さんと意見交換しました。
森本議員が神戸の経験を報告。私も当時の仮設住宅での取り組みなど、お話させていただきました。いわき市には、現地の被災者の方にとどまらず、他地域のみなさんも仮設住宅に住まわれるということで、コミュニティづくりも含めて、引き続きの支援が必要だと痛感しました。
現地のみなさんには、炊き出しや、一緒に行動していただいたりと、大変お世話になりました。帰ってから早速、次の共産党のボランティアバスで物資を送ってもらおうとタオルやタオルケットなどを準備中です。