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市議団の活動

市民要求395項目の実現を

2011年11月25日

来年度予算編成で市長に要望

日本共産党神戸市会議員団は11月25日、矢田立郎神戸市長に対し「2012年度予算編成にあたっての要望書」(395項目の局別要望と各区要望)を提出しました。
要望書では、福祉や市民サービスを削減する行革路線ではなく、市民の意見に真摯に耳を傾け、高齢者や弱者に冷たい姿勢を改めるという姿勢で予算編成を行うべきだと求めています。
具体的には、中学校給食の早期実施と検討委員会に公募委員を加えること、民間借上げ災害公営住宅からの入居者追い出しをやめ、市営住宅として継続すること、神鉄粟生線存続に努力すること、三菱重工神戸造船所の商船建造の撤退中止を求めることなどを求めています。
申し入れには、松本団長はじめ8人の議員が参加。矢田市長が応対しました。松本団長らは「借上げは継続していただきたい。補助率が3分の2から2分の1になっても、大きな負担にならない。市長の決断を」「保育所の待機児解消に努力を」などと求めました。
矢田市長は「来年度は、税収がかなり落ち込む」「借上げは、かなり無理を言ってつくってもらった。いろんな人のいろんな意見の中での判断」などとこたえました。

給食食材の安全確保を

2011年09月07日

放射能調査実施など要望
 
日本共産党神戸市会議員団は9月6日、7日の両日、市長と教育長に対し「保育所・学校給食の食材の安全性確保に関する申し入れ」を行いました。6日には保健福祉局子育て支援部、7日には学校給食を扱う教育委員会指導部に申し入れ、状況を聞くとともに、安全対策の実施を求めました。
申入書では①給食食材の放射線測定を定期的に行うこと②食品の放射線測定器を購入し、費用は国に求めること③国に食品の安全確保に向けた放射線測定、検査態勢の抜本的強化を求めること、などを求めています。
保健福祉局子育て支援部の岡田健二部長らは「保育所では、保育所単位で近場の食材を使って給食をつくっている」「可能な限り、地産地消で対応している」「食材の産地も掲示するようにしている」など、実情を説明しました。
参加した松本のり子議員らは、市民からの不安の声を紹介しながら、「子どもの健康、安全を守るという立場での対応」を強く求めました。

教育委員会では、不安を持つ保護者の問い合わせに、教育委員会が「流通しているものは安全だから」と答えていることなどをあげて、こうした対応では市民の不安は解消されないと指摘しました。
林弘伸指導部長らは「震災後、新たな防災教育に取り組んでいる。安心安全もテーマにしている」「産地情報は9月から公表するようにした」「被災地への風評被害を広げるような形にならない方法や、被災地から神戸に避難してきている子どもたちの気持ちにも配慮しながら、安心してもらえる対策を検討したいが、やり方の難しさを感じている」「大規模な流通拠点で検査が行われることを望んでいる」など、現状と取り組み状況を説明。
山本議員らは「保護者らの問い合わせに『流通しているものは安全』などというだけでは不安は解消されない。すべての検査は無理でも、実際に放射能を測定し、その数値を公表することで安心感が広がる」「考えられる範囲で、安全、安心対策を講じるべき。検査をするのとしないのとでは全然違う」「国の態度が曖昧なことが大きな原因なので、われわれも是正を求めるが、自治体としても求めるべきだ」として、様々な問題はあるとしながら、市民、保護者、子どもの安心を確保する対応策を求めました。

いわき市でのボランティア活動に参加して

2011年08月10日

市会議員 金沢はるみ

8月3日から6日まで神戸市議団の事務局2名と議員3名、合計5人で福島県いわき市でボランティア活動に参加しました。
被災された皆さんの現状や要望などを聞き、地元議員さんらに伝え、要望の解決策を検討する活動です。
放射線量を量る線量計も持ちながらの活動。マスコミでは毎日放射線量は報道されていますが、自宅がどの程度かはわかりません。訪問先で、計測すると喜ばれました。いわき市の放射線量はそれほど高くなく、私たちが行った時は0.14~0.17マイクロシーベルトぐらいでした。
4日は、勿来(なこそ)地域に入りました。この地域は、青々と稲が育つ、平和な農村部の風景が広がっています。しかし、屋根瓦などの損害を受けている家が多く、お話を伺うと「家の損害も大変だけど、つくっている米が出荷できるか心配」と口々に言われていました。
米の出荷にあたっては、稲の段階と収穫後の二度にわたる放射線量の検査が予定されています。もし値が高ければ、米の出荷はできなくなります。農家にとっては大打撃です。
同時に、出荷できても「風評被害」によって「福島県」産の米は売れないことが予想されます。現に、障害者団体が無農薬で栽培している野菜は、「福島産だから」ということで、納品を断られる事態になっています。こうした風評被害についてもきちんと東電に補償させなければならないと思いました。
5日は、泉地域という静かな住宅街での聞き取り調査と、放射線量が高い地域の人たちの避難所となっている常磐ハワイアンセンターで生活している人たちから、話を聞きました。
泉地域は、外見では屋根の被害が目立ちますが、事情を聞くと深刻な被害があることがわかりました。
地盤が緩いため、家の土台が傾いたり、基礎部分にひび割れがでるなどの被害が出ていました。いわき市の一次調査は、外見だけ。納得できないとして「不服申し立て」がされた世帯だけ、内部も調査するとしています。これでは、多くの被災者が泣き寝入りを余儀なくされる可能性があります。
どの地域でも「神戸からボランティアにきました」というと「遠くからわざわざありがとう」と言って実情を話してくれます。中には「ぜひ、あがってください」と、招き入れてくれる方もあります。お邪魔すると、震災当日の話、避難したときの大変だったこと、友人や家族の話など、堰を切ったように話してくださいました。
多くの地域で「り災申請をしても、なかなか家を見に来てくれない」「半壊の認定になっているが、見直しが必要ではないか」など、不安や行政にたいする不満の声が多く出されました。
2カ月も調査員がこないというお宅の事情を聞き、私がその場で市役所に問い合わせ。「いつごろ調査に入れるか、折り返し電話する」との職員からの返事を伝えると、大変喜ばれました。
また、共産党の作った支援制度の一覧表も大変喜ばれました。他方、市役所がつくっている支援制度のパンフレットが、市民に届けられておらず、知られていないこともわかりました。いわき市の議員さんも改善を求めているとのことでした。
5日の夕方には、内郷地域で、現地の党員の方々と懇談しました。ここは他町の被災者用の仮設住宅として利用されている雇用促進住宅がある地域。また、8月末には、ハワイアンセンターに避難している人たちが入居する予定の仮設住宅が大量に建設されています。
「これからどういう継続的な支援が必要か、神戸での経験を聞きたい」ということで、地元の党員の皆さんと意見交換しました。
森本議員が神戸の経験を報告。私も当時の仮設住宅での取り組みなど、お話させていただきました。いわき市には、現地の被災者の方にとどまらず、他地域のみなさんも仮設住宅に住まわれるということで、コミュニティづくりも含めて、引き続きの支援が必要だと痛感しました。
現地のみなさんには、炊き出しや、一緒に行動していただいたりと、大変お世話になりました。帰ってから早速、次の共産党のボランティアバスで物資を送ってもらおうとタオルやタオルケットなどを準備中です。

被災者の要望聞く

2011年08月08日

いわき市でボランティア活動

日本共産党神戸市会議員団の松本のり子、金沢はるみ、森本真の各議員と議員団事務局2名が、8月3日から6日まで、福島県いわき市でボランティア活動に参加しました。
被災者を訪問、現状や要望などを聞き、地元の議員に伝え、解決策を検討するという活動にとりくみました。
放射線量を量る線量計も持ちながら被災者宅を訪問。農家の方からは「家の損害も大変だけど、つくっている米が出荷できるか心配」と不安の声が出されました。風評被害も深刻で、障害者団体が無農薬で栽培している野菜は、「福島産だから」というだけで、納品を断られていると言います。
放射線量が高い地域の人たちが避難している常磐ハワイアンセンターも訪問。被災者からは「親戚、知人と何カ所も回って、やっと落ち着いた」という深刻な話も出ました。
どこでも「神戸からボランティアにきました」というと「遠くからわざわざありがとう」と歓迎されます。中には「ぜひ、あがってください」と、招き入れてくれる方も。お邪魔すると、震災当日の話、避難したときの大変だったこと、友人や家族の話などが、堰を切ったように、要望と併せて出されました。
多くの地域で「り災申請をしても、なかなか家を見に来てくれない」「半壊の認定になっているが、見直しが必要ではないか」など不安や、行政への不満の声が出されました。

議員団が自然エネルギーへの転換呼びかけ署名行動

2011年06月22日

原子力発電からの撤退を
 

日本共産党神戸市会議員団は6月22日の正午から約一時間、神戸大丸前で、原発からの撤退を求める請願署名行動を行いました。
9人の議員が交代で「一度起これば、取り返しがつかないのが原発事故」「世界でも原発から自然エネルギーへの転換が主流になっています」「今も事故が収束していないのに、政府や財界は、これからも原発が必要、との立場を変えていない」「計画的に原発をゼロにする取り組みを進めましょう」などと訴えました。
署名した市民は「今回のようなことが起こると周りの人だけでなく、世界中に影響することやもんね」などといいながら応じていました。
原発事故で、修学旅行が関東方面から神戸に変更になったという愛知県の中学生たちも「これから勉強します」といいながらそろって署名していました。
この行動で55筆の署名が集まりました。

福島県いわき市で被災者の要望を聞いて

2011年06月12日

5月23日~27日の5日間、日本共産党神戸市会議員団の山本じゅんじ、西ただす両議員と、新しく当選した赤田かつのり、味口としゆき両氏が、福島県いわき市を訪れ、ボランティア活動をおこないました。地元県議や党員、兵庫のボランティアと一緒に、避難所や被災した個人の住宅などを訪問し、被災の状況や要望などの聞き取り、情報提供などを行いました。参加した山本議員からの手記を紹介します(「兵庫民報」6月5日付に掲載されたものを一部修正)
私たちが活動したのは勿来(なこそ)地区と小名浜(おなはま)地区の二つの地域。この地域が位置するいわき市南部では、3月の大震災に加えて、4月11、12日の二度にわたる大きな余震で、さらに被害が広がっているのが特徴です。

「生活のめどたたない」の声多数
勿来地区では、避難所も訪問しました。地区内3カ所の避難所で、合計100人以上の方が生活。津波の被害に遭った方、地震で家を失った方など、被害は様々です。
避難所では、長期にわたる生活で、食事やプライバシーの問題、これから暑くなるにしたがって入浴や洗濯、食品の保存など、暑さ対策が求められていました。津波被害で自家用車が流出、残った車でお互いにやりくりしながら何とかしのいでいる、という声も聞きました。また、避難所からは入浴施設も遠く、入浴もわずか15分という時間制限も。すでに避難所生活も2カ月。住居に住めなくなったうえ、失業、原発による被害も加わって、これからの生活のめどが立てられない、そういう声が多数でした。
個人の住宅への訪問は、勿来地区、小名浜地区ともに行いました。地域によって被災の状況は違うものの、どちらの地域も津波被害を受けていました。家屋の流出にまでは至っていませんが、床上・床下浸水が相当な規模で広がっていました。
小名浜の神白地区では、すぐ近くに海岸があり、海に接して建てられていた高校は津波の直撃を受け大破。川を逆流した津波によって、周囲の家屋が浸水しました。この地域はこれまでにも大雨などで年に数回、浸水を繰り返しているとのことで、土地のかさ上げをしている家屋もありました。それにもかかわらず、床上浸水。渦を巻いて水が流れ込み、「まさかここまでくるとは思わなかった」と話していました。
神白地区には雇用促進住宅があり、50世帯分の二次避難用の住戸が確保されていました。すでに数世帯が入居していたものの、本格入居はこれからといったところ。ある住宅では、とても狭く、3人で入居したうち一人は押し入れで寝ているとのこと。別のお宅では、夜に酸素吸入しているので、家族の眠るスペースが確保できない、おとな4人で無理やり生活している家もある、とも聞きました。
支援や制度など必要な情報が不足
被災の規模からすると訪問したお宅はわずかです。しかし、その中からも様々な問題点を知ることができました。
特に、必要な情報が不足しているということ。どんな支援制度があるのか、どこに相談したらいいのか、と聞かれることもしばしばありました。制度をまとめたパンフレットなどを手渡し、説明するととても喜ばれました。また、被害が小さかったからと罹災証明の申請をしていない方や、罹災証明をとることを知らない方もおられました。被害の大小にかかわらず申請することや、罹災証明がないと、あとでいろいろ困るからと申請を促すなど、直接訪問してお話をお聞きすることで必要な対策が見えてきます。私たちの訪問活動は、「(他の)地元の議員は姿を見せない」と住民の方々が不満を募らせている中で「よく来てくれた」「共産党さんだけです。まわってくれるのは」と大変歓迎していただきました。
地元の党の県・市議をはじめ、党組織の奮闘をいかしていくためにも、訪問活動で被害の状況調査をすることや要望を聞く活動は、非常に大事な活動だと感じました。聞き取った内容は、市や県への要望にも反映され、すでに改善へとつながったものもあります。
震災の話のあとには必ず、原発にたいする今後の不安が語られました。自らの生活や子どもたちの将来に直結するだけに非常に不安な思いも抱えておられました。
原発問題も含め、地元の方々の気持ちに寄り添った活動、生活再建策が望まれており、この視点は絶対に欠かしてはならない、と実感した5日間でした。

東日本大震災ボランティア活動に参加して

2011年06月10日

日本共産党議員団から東日本大震災への支援活動(5月23日~27日・いわき市で活動)に参加した、山本、西、味口、赤田各議員からの感想を紹介します。
 
家族離散の世帯も 山本じゅんじ
地震と津波だけでなく、原発事故も加わった〝複合被害〟。被災地の方に直接話をお聞きすればするほど、事態の深刻さを全身で感じる、そんな思いでした。特に原発事故による放射能被害は、地元の方々に心身ともに、大きな負担を強いています。自宅に帰れないというだけでなく、原発を挟んで家と職場や学校がある家庭では一家離散に。子どもたちは外で遊べない、という状況がいつまで続くのか、多くの方が心を痛めておられました。未来にまで大きな禍根を残した原発事故。私は怒りでいっぱいです。支援を必要としているすべての方々に寄り添った活動・支援にこれからも取り組んでいきたいと思います。
神戸の失敗を繰り返さない 西ただす
住民からの要望を聞いて回りましたが、まさに「住民目線とは何なのか」を考えさせられる機会となりました。津波で家族を失いながらも、高台への新たな街の建設への思いを語った方、苦しみながらも家の再建に取り組んでいる方、たくさんの思いを聞きました。被災地では、表面的には市民の声を聞くとしながら、「上からの復興」が押しつけられようとしています。行政そのものが十分に機能せず、被災者の声がまったく聞かれていないのが実態です。
東北の復興のためには、コミュニティーの問題をはじめ、「神戸の失敗を繰り返さない」という姿勢が大切です。その中で、神戸市政の問題を明らかにし、今後の神戸の在り方も示していくため、がんばります。
見通しがみえない苦悩 味口としゆき
東日本大震災と福島原発事故の影響は、非常に深刻でした。被災者からの聞き取りでは、原発事故に対する無念さ、憤り、政治と東電への怒りの声が寄せられました。「大変な震災ではあったが、本来ならば復興へむけて進んでいたはず。放射能のせいで、突然、土地も、家も、墓も、近所の付き合いも、子どもの学校も、みんな手放さなければならなくなった。安全だと言い続けてきた結果がこれだ。元の暮らしを返してほしい」―。今後の見通しがみえない苦悩が滲んでいました。福島に行ったものとして、自分に何ができるのか。自分で考え、答えを出していきたいと思います。
個人補償制度の拡充を 赤田かつのり
福島第一原発より30キロ圏内の自宅から避難所にきた人たちは、「子どもがいじめに遭いました」「家のローンは、東電に払ってもらいたい」「田んぼや畑が気になる」など、苦しい胸のうちを語ってくださいました。市の下水道職員も放射能の恐怖を感じて、退職する人が目立って増えていると、地元の県会議員から聞きました。被災者に何の責任もありません。人災から命と暮らしを守る政治への転換が待たれています。生活再建のため個人補償の制度を拡充することと、原発からの撤退・自然エネルギーへの転換を何としても実現していかなければなりません。真の復興を願う広範な国民の運動と固く連帯して頑張っていく決意です。

市議団と県委員会が市長に 大震災支援対策強化求める

2011年06月08日

日本共産党神戸市会議員団と同兵庫県委員会は8日、矢田立郎神戸市長に対し「東日本大震災への支援強化等を求める要望書」を提出しました。3回目の申し入れです。申し入れには、松本のり子、森本真、山本じゅんじ各議員と花房ふみこ新議員らが参加しました。
要望書では、被災自治体の要望に統一的に対応できる担当部局の設置、社会福祉協議会などが実施していたボランティア派遣バスの復活とそこへの支援、神戸市に来ている避難者への支援策や神戸での生活に関する情報提供などを要求。
また、避難してきている子どもに、学習の進捗度の違いへの対策、高校や大学受験対策などを求めています。
さらに、震災の影響を受けた神戸市内の中小業者にたいする融資条件の緩和や利子補給の実施、神戸市の防災計画の見直し、三菱重工神戸造船所の商船部門撤退の白紙撤回、などを求めています。
応対した川野理危機管理監らは「各部局に要望の趣旨は伝える」などと答えました。